子供っぽさの定義

外国人が日本人のある振る舞いをさして「コドモです」と
いう事があります。

でも、日本ではそうしないことが「コドモ」であることが。


日本語を勉強しはじめたばかりの人が
日本人の友人に宿題をみてもらったら・・・
彼女が書こうとする簡単で短い日本語を
もっと長くて複雑な日本語に変えよう変えようとするから
「私はビギナーなんだから、これでいいの!」と
押し切ったわ(笑)なんていう話しも。

いい歳をしたオトナが、

「私は昨日、東京に行きました。東京で映画を見ました・・」
などを書くのは、コドモっぽい。恥をかかせないために・・・
という親切心からなのだとは思いますが。

また、オープンである・・ということも日本では
「社会の怖さを知らない危ういコドモ」であるということなのでしょうか。
ネット上では匿名性を求める日本人が
実名登録が原則のfacebookに拒否反応を示すのは
そういうことなのかもしれません。


日本人が考える「コドモ」の定義は
異文化のフィルターを通してみると、
正直で公正である・・ということではないか。


オープンであることの領域に良識にもとづいた責任が持てることのほうが
匿名のもとに、好き勝手にネガティブな発言をしたり、受け取るだけで
自分からは発信しないより、オトナ度は高くないでしょうか。



そういうオトナ度が、英語で話す以前の問題として
日本人が異文化交流をするときに、持っておくべき心構えなのではないかと
最近よく考えます。

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