討論できない日本人
亀井さんと菅さんの口論を午後の番組で見ていました。
「水掛け論」というテロップがでて
ふと電子辞書でこの言葉を調べてみました。
・(日照りの時に、百姓が互いに自分の田へミズを引き込もうとして
争うことから)双方が互いに理屈を言い張って、果てしなく争うこと。(広辞苑)
・お互いが自分の主張を曲げず決着がつかないまま続く議論。(明鏡国語辞典)
そもそも、一般的に日本で「水掛け論」以外の討論って存在するのでしょうか・・・。
国語教育が言語技術と位置づけられていない日本で、
討論について解説できる人は少ないはず。
また、一般的に日本の会社では討論力は問われず、
むしろプレゼン能力のほうが重要だそうです。
討論力が求められる舞台が絶対的に少なければ、
日本国内にいては討論力とは?と考える機会も必要性もないのかもしれません。
でも、日本人が”討論”と呼んでいるものは本当に討論なんでしょうか。
言葉の遊びで相手を侮辱する、揚げ足の取り合い、そんな風にしかみえないのです。
討論の研修などを実施している会社のウェブサイトには
興味深いコンテンツがありました。
ちょっと参加してみようかな・・・・などと思っています。
「水掛け論」というテロップがでて
ふと電子辞書でこの言葉を調べてみました。
・(日照りの時に、百姓が互いに自分の田へミズを引き込もうとして
争うことから)双方が互いに理屈を言い張って、果てしなく争うこと。(広辞苑)
・お互いが自分の主張を曲げず決着がつかないまま続く議論。(明鏡国語辞典)
そもそも、一般的に日本で「水掛け論」以外の討論って存在するのでしょうか・・・。
国語教育が言語技術と位置づけられていない日本で、
討論について解説できる人は少ないはず。
また、一般的に日本の会社では討論力は問われず、
むしろプレゼン能力のほうが重要だそうです。
討論力が求められる舞台が絶対的に少なければ、
日本国内にいては討論力とは?と考える機会も必要性もないのかもしれません。
でも、日本人が”討論”と呼んでいるものは本当に討論なんでしょうか。
言葉の遊びで相手を侮辱する、揚げ足の取り合い、そんな風にしかみえないのです。
討論の研修などを実施している会社のウェブサイトには
興味深いコンテンツがありました。
ちょっと参加してみようかな・・・・などと思っています。
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