日本語で考えない

先日、ドイツ語の通訳翻訳のお仕事をされている方々と
お食事する機会があり、いろいろと興味深いお話を
お聞きすることができました。

ある語学にある程度精通した、できたなぁと感じる目安は?
とお聞きしたところ、「その言葉で夢を見るかでしょうか。」という
お答え。

私もドイツ語で夢を見ますが、ぜんぶ
「ああうまく話せない・・・・」と言う夢です(笑)
でも、英語ではときどき夢を見ます。

日本人なら日本語で考えるのは普通のことですが
ある言語で話すためには、母国語で一言一句考えない
いわば、脳の幽体離脱?のような状態があるように
感じています。

自分の脳(日本語で考える脳)を別の脳(概念やイメージで事柄をつかむ脳)
が、認識する感覚というのか。

そういう脳を作るためには基本的な語彙の使い方をしっかり観察することが
まず大切な第一歩。

自分の日常的な行動、基本的な感情、言葉にしなくても
イメージできるほど、ありふれているものをある言語では
どういうのか・・・そういう観察眼。観察耳を育てること。

日本の英語教育ではこの「観察」が一切ない。
すべて受け身で、ひたすらインプット。

インプットが十分にされたところで、日本語で考え続けたインプットが
すぐに英語らしい英語になってアウトプットできるわけがない。

この観察を怠ると、何年ある言語を続けていても、文法的には合っていたとしても
何を言っているのか意味不明・・という残念な発話になってしまうことが
多々あります。

基本的には「自分が言いたいこと」を考えながら、ある言語ではどういうのかを十分に観察、インプット、だいたい感覚的に自分の母語とある言語との同一点、相違点を認識できたら発話・・・という
ことを積み重ねていくと、いつかきっとその外国語で夢を見るのだと思います。

やみくもに話し続けたとしても、
日本語で考えている限り、あまり成長はないでしょう。

いろいろな方法があるでしょうが、
「自分がなにを言いたいのか」が基本。

自分の考え、意見を述べる訓練を受けていない
日本人は「話す語学」を前にすると、二重の足かせが
あると言えると思います。

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