日本語で考える危険性

私にとって日本語のレッスンの生徒さんたちの
間違っている日本語はとても重要なヒントになります。

なんのヒントか。

日本語とその生徒さんの母国語の違いを
知るためのヒントです。

もう少し掘り下げると日本語をより
客観的に見られるようになります。

わかりやすい例を挙げると
「私、食べ過ぎて太っちゃったんですよ。3キロも!」
「ええ、そうですか?ミエマセン。」

日本語でもこの文脈でなら
「3キロも太ったようには見えない。」
「そうは見えない。」という言い方でなら
成立しますよね。

この場合、普通「わからない」が最もよく使われるのでは
ないかと思います。

「わかる」は「理解できる」、「近未来の予定について知っている」
「結果がはっきりする」等の場合に使うのですが、
この場合は「違いや変化を認識する」という意味だと思います。

生徒さんのちょっとした誤用が
こちらの日本語の語感を研ぎすませてくれるわけです。

これを今度は逆の視点で見た場合、
日本人が「わかる」を一つか二つの英語で表現しようとすると
限界が来るのが簡単に想像できると思います。

外国語で話そうとするとき、
極力母国語で考えないようにしたほうがいいもう一つの理由はこれです。
無意識に意味を使い分けている場合は特にそうです。
外国語で「ミエマセン」と考えるべきところと「わかりません」で
すませてしまうことになるからです。


外国語を学ぶことは、母国語をより深く知る事なのだと
つくづく思います。














Comments

Popular Posts