脳のメモリ
外国語で話す時に、私は日本語ではもう考えていません。
いつから、こうなったのかはっきりは覚えていません。
今は日本語で考えると外国語では話せなくなりますし、
日本語からの翻訳は少し苦手です。
でも、昔を思い出すと日本語を必死で訳そうと
しながら話していた時期、確かにありました。
今でも自分の思った通りにすべてを外国語で表現できる
わけではないのですが、昔は無かったけれども
今はある、一つの感覚があります。
何かを伝えたい時に
頭のなかに、自分の言いたい事を表す、
概念、イメージ、状況をためておく場所のようなもの。
その場所で日本語から英語ではなく
そのイメージから英語に変換している気がします。
言いたい事を経験に裏打ちされた語感のある
使用語彙、使用文法とつなげて口から言葉として
発信している、そういう感覚。
脳の作業場、PCのメモリみたいな場所です。
日本語を一言一句、目の前で見ているのではなく
それを遠くから眺めて、つまり何が言いたいのかを
突き詰める場所。
それは巷でよく言われている「英語脳」とも違う気がします。
「核」なのです。そこには何語も無い気がします。
いつから、こうなったのかはっきりは覚えていません。
今は日本語で考えると外国語では話せなくなりますし、
日本語からの翻訳は少し苦手です。
でも、昔を思い出すと日本語を必死で訳そうと
しながら話していた時期、確かにありました。
今でも自分の思った通りにすべてを外国語で表現できる
わけではないのですが、昔は無かったけれども
今はある、一つの感覚があります。
何かを伝えたい時に
頭のなかに、自分の言いたい事を表す、
概念、イメージ、状況をためておく場所のようなもの。
その場所で日本語から英語ではなく
そのイメージから英語に変換している気がします。
言いたい事を経験に裏打ちされた語感のある
使用語彙、使用文法とつなげて口から言葉として
発信している、そういう感覚。
脳の作業場、PCのメモリみたいな場所です。
日本語を一言一句、目の前で見ているのではなく
それを遠くから眺めて、つまり何が言いたいのかを
突き詰める場所。
それは巷でよく言われている「英語脳」とも違う気がします。
「核」なのです。そこには何語も無い気がします。
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