母語の運用能力

大人がある言語に取り組む場合、母語の運用能力は必須条件と感じます。

ただ最近、この「母語の運用能力」の解釈がいろいろあるんだということに
気がつきました。語彙が多いことであるとか、正しい文法であるとか。
確かにそれもそうだと思いますが、語学習得、特に「話すこと」に
特化して考えると、そこまで大切な事ではないと思います。

私が考える「母語の運用能力」は
様々な事柄について、「相手にわかりやすく自分の言いたい事が
伝えられるか」がまず一番大切な条件になると思います。

語学にはいくつかの才能というのか能力が必要だと思いますが
ここが欠けると、ある程度型が決まっている会話(旅行会話等)
以上には、なかなかならないのではないでしょうか。

脳のなかにハードディスクとメモリがあると想定して
説明能力にはメモリが、より大切なのではと考えます。

例えば、ある一つの話を再現しようとする時に
記憶を呼び起こしてメモリに全部広げて
客観的に再構築できる能力とでも言いましょうか。

今現在の事は知りませんが「話す」訓練の一切ない
日本の国語教育を受けた日本人だけのことを考えても
説明能力の有る無しははっきりとその違いがありますよね。
では、何が人の説明能力の違いを生むのか、、、
職業などの環境も大きな要因とは思いますが、
たとえ同じ条件でも違いはあるような気がします。

そこを目下研究中です。








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